上知郡都官
- 列郡二千石,所理我与共。
临淮守最贤,万口交一颂。
彼邦困飞蝗,我境欲集凤。
彼民粒不充,我黍地无空。
严乎如秋霜,巨猾弗得纵。
断乎如蓍龟,吏法不敢弄。
铃斋昼观书,朱轓春劝种。
明堂购众材,我公实梁栋。
行吐胸中奇,勋名光有宋。
贱生何为者,碌碌备僚从。
天幸所与薄,半岁侍羁鞚。
燕雀势力小,鹅雁食口众。
贫贱两虽甘,沥恳辄披控。
朝廷重为邑,外台荐方用。
岂惟进雨蹠,抑可利微俸。
私心觊公举,如昔望郡贡。
媒衒士所丑,未罪已自讼。
公如飞一章,举族免饥冻。
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上知郡都官注释
【二千石】郡守俸禄为二千石,即月俸百二十斛。世因称郡守为“二千石”。《史记·孝文本纪》:“臣谨请(与)阴安侯列侯顷王后与瑯玡王、宗室、大臣、列侯、吏二千石议。”《汉书·循吏传序》:“庶民所以安其田里而亡叹息愁恨之心者,政平讼理也。与我共此者,其唯良二千石乎!”颜师古注:“谓郡守、诸侯相。”晋葛洪《西京杂记》卷一:“京师大水,祭山川以止雨,丞相、御史、二千石祷祠如求雨灋。”宋宋□《新编分门古今类事·文翁掷斧》:“翁呪曰:“吾得二千石,斧当著此。”因掷之,正中所欲处。后果为蜀郡太守。”…展开【二千石】郡守俸禄为二千石,即月俸百二十斛。世因称郡守为“二千石”。《史记·孝文本纪》:“臣谨请(与)阴安侯列侯顷王后与瑯玡王、宗室、大臣、列侯、吏二千石议。”《汉书·循吏传序》:“庶民所以安其田里而亡叹息愁恨之心者,政平讼理也。与我共此者,其唯良二千石乎!”颜师古注:“谓郡守、诸侯相。”晋葛洪《西京杂记》卷一:“京师大水,祭山川以止雨,丞相、御史、二千石祷祠如求雨灋。”宋宋□《新编分门古今类事·文翁掷斧》:“翁呪曰:“吾得二千石,斧当著此。”因掷之,正中所欲处。后果为蜀郡太守。”折叠 -
- 强至 强至(1022年~1076年),字几圣,杭州(今属浙江)人。仁宗庆历六年(1046年)进士,充泗州司理参军,历官浦江、东阳、元城令。英宗治平四年(1067年),韩琦聘为主管机宜文字,后在韩幕府六年。熙宁五年(1072年),召判户部勾院、群牧判官。熙宁九年(1076年),迁祠部郎中、三司户部判官。不久卒。其子强浚明收集其遗文,编《祠部集》四十卷,曾巩为之序,已佚。清朝强汝询…详情
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