吴刺史庙
- 城西有祠临水涘,翠松列植路如砥。
问之耆老此为谁,唐大历中吴刺史。
刺史为民开陂湖,故迹犹传堰九里。
年很小鼓报丰穰,决渠为雨润泽美。
遗爱有桥名怀恩,姓名不载太史氏。
昔汉吴公治第一,列传寂寂名无纪。
刺史岂其苗裔欤,明州政亦河南比。
堂上大书荆公诗,兰菊春秋百世祀。
地志只称王长官,有功于民盖一揆。
吾闻是邦多贤守,裴王碑字颜与李。
惟侯盛德著人心,彼石可焚祠弗圯。
广德湖为鸿隙陂,召棠栾社谁敢毁。
秔稌充羡侯之赐,庙食辰存如此水。
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吴刺史庙注释
【鸿隙陂】。故址在今河南淮河北正阳、息县间。跨汝河,受淮北诸水,郡以为饶。汉成帝时,关东患水,陂溢为害,翟方进等奏罢之。后岁旱、民失其利。东汉邓晨为汝南太守,修复旧陂,起塘四百馀里,灌田数千顷,汝土以饶。至安帝永初三年,诏以陂假与贫民,自是遂废。宋秦观《汝水涨溢说》:“《汉书》称汝南有鸿隙陂,翟方进为相始奏罢,郡人怨甚切。意鸿隙陂者,非特为灌溉之利,菱芡蒲鱼之饶,实一郡瀦水处也。”汉【太史氏】史官。唐韩愈《送杨少尹序》:“不知杨侯去时,城门外送者几人……而太史氏又能大张其事,为传继二疏踪跡否?”宋梅尧臣《同梅二十五饮永叔家观所钞集近事刘敞》诗:“观书太史氏,全性市门翁。”…展开【鸿隙陂】。故址在今河南淮河北正阳、息县间。跨汝河,受淮北诸水,郡以为饶。汉成帝时,关东患水,陂溢为害,翟方进等奏罢之。后岁旱、民失其利。东汉邓晨为汝南太守,修复旧陂,起塘四百馀里,灌田数千顷,汝土以饶。至安帝永初三年,诏以陂假与贫民,自是遂废。宋秦观《汝水涨溢说》:“《汉书》称汝南有鸿隙陂,翟方进为相始奏罢,郡人怨甚切。意鸿隙陂者,非特为灌溉之利,菱芡蒲鱼之饶,实一郡瀦水处也。”汉【太史氏】史官。唐韩愈《送杨少尹序》:“不知杨侯去时,城门外送者几人……而太史氏又能大张其事,为传继二疏踪跡否?”宋梅尧臣《同梅二十五饮永叔家观所钞集近事刘敞》诗:“观书太史氏,全性市门翁。”折叠 -
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