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《百战奇略·第九卷·易战》
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凡攻战之法,从易者胜敌。敌若屯备数处,必有强弱众寡。我可远其强而攻其弱,避其众而击其寡,则无不胜。法曰:「善战者,胜于易胜者也。」
《北史》:周武帝〔将〕伐齐之河阳,〔谋及臣下〕,宇文弼〔进策〕曰:「〔今之用兵,须择其地。〕河阳要冲,精兵所聚,尽力攻围,恐难得志。〔如臣所见,〕彼汾之曲,城小山平,攻之易拔。」武帝不纳,师竟无功。〔建德五年,大举伐齐,卒用计。后终于平齐。〕
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大凡进攻作战的法则,一般是从敌人最容易被战胜的地方开始进攻。敌人如果屯兵防守的地方多处,必有力量强弱、兵力多少的不同。对此,我军应当远离敌人的强点而进攻其弱点,避开敌人兵多之处而打击其兵少之处。这样,就没有不胜利的。诚如兵法所说:“善于指挥作战的人,总是战胜那容易战胜的敌人。”据《北史》记载,(北周建德四年)周武帝宇文邕准备进攻北齐的河阳,当问计于臣下的时候,内史都上士宇文献策说:“今天我们对齐作战,必须正确选择进攻目标。河阳地处军事要冲,北齐的精锐部队集中在那里,我们即使是倾尽全力去围攻它,恐怕也很难达到目的。若依我的看法,敌人的汾水弯曲之处,戍卫的城垒较小,而且山势平缓,进攻那里是容易夺取的。”但周武帝并没有采用这个建议,因而师出竟无功而还。建德五年,周武帝亲率大军进攻北齐,完全采用了宇文的计策,最终于次年正月灭亡了北齐。
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