《明季北略·卷十·李自成降叛不常》
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洪承畴精韬钤,率曹文绍、曹变较、贺人龙等,凡破贼于宁塞、于西安、于延北、于西濠、于庄浪,斩贼渠神一魁等,招降中斗星等,先后剿获甚众,由是张献忠与延安贼李自成,奔盩鄠间。
六月,陈奇瑜围自成于汉中车厢峡。会连雨四十日,弓矢俱脱,贼马乏刍,死者过半。自成大窘,乃自缚乞降。奇瑜许之,各给免死牌籍。七月七日辛卯,贼至凤翔,藉口奉督抚檄,安插城内,守臣知其诈,给以门不敢启,须缒城上。先登三十六人,尽杀之。奇瑜因借为辞,劾地方官绅挠偾抚局,命缇骑逮宝鸡知县李嘉彦、凤翔乡绅孙鹏等五十余人,下狱。
李自成陷登城,围郃阳门,洪承畴兵至,解围去。转寇平凉、邠州。八月,自成陷咸阳,杀知县赵济昌,官兵至,贼弃金帛饵官兵,竟西遁。屯干州,招之,不听。复陷陇州,贼到处乌合,简精壮为前驱,收妇女老弱,急则用之,饵官军,故诸臣动称斩馘报捷,贼势实不减。
陈奇瑜报降贼一万三千有奇。先是,众贼为洪承畴所逐,窜汉中。二月,陷兴山;壬申,入瞿塘,陷夔州。三月川兵败贼于巴州。据巴西诸险贼,不能度,且饥无所得食,故乞降于奇瑜。奇瑜降檄诸部按甲无动,遣官监护降者,且檄所过郡邑为具饥粮传送之。诸贼举无降意,又未大创,徒以饥疲困于地险不得逞,既度栈道,已出险,渐不受绳束,仍事杀掠,所至罢市,贼遂尽杀监视官五十员,攻陷麟游、永寿,势不可遏矣。此八月事。
闰八月,陈奇瑜至凤县,时贼益炽,北接庆阳,西至巩昌,西北至邠州、长安,西南至盩鄠、宝鸡,众殆二十万。奇瑜始悔其见愚,急分兵出御,而兵已寡矣。九月,贼陷灵台、崇信、白水、泾州,复陷扶风。
洪承畴遣总兵左光先等,援陇州贺人龙,围始解。十月,左光先击自成于高陵富平间,斩首四百余级,自成佯求抚,真宁知县王家求遽信之,出城招谕,失其印。甲寅,陕西巡按傅永淳,上言汉南降贼陷城,破邑,所在骚然,皆由奇瑜专主招降,谓盗心已革,不许道途讯诘。
故郡邑不敢问,开门揖盗,剿抚两妨,皆奇瑜之流毒也。山西巡抚吴牲,亦言招安流盗,最宜慎重,彼狼子野心,势难驯伏,况边地穷荒,芜居无食,仅曰免死,遂甘心易虑乎哉?上以秦盗猖獗,逮巡抚练国事命李乔巡抚陕西。十一月,削总督陈奇瑜职,听勘。十二月,进洪承畴兵部尚书,总督河南、山西、陕西、湖广、保定、真定等处军务,其总督三边如故。
自缚乞降,贼窘甚矣。虽不即杀,亦宜分遣,乃给牌以遗后患,岂计之善者,宜物议之沸腾也。
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