《明季北略·卷五·刘懋请裁驿递》
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卷五 崇祯二年己巳
刘懋请裁驿递(懋,兵科左给事)
初上即位,励精图治,轸恤民艰,忧国用不足,务在节省。给事中刘懋上疏,请裁驿递,可岁省金钱数十余万。上喜,着为令,有滥予者,罪不赦。部科监司,多以此获遣去。天下惴惴奉法。顾秦、晋士瘠,无田可耕,其民饶膂力,贫无赖者,藉水陆舟车奔走自给,至是遂无所得食,未几,秦中叠饥,斗米千钱,民不聊生,草根树皮,剥削殆尽。上命御史吴牲赉银十万两往赈,然不能救。又失驿站生计,所在溃兵煽之,遂相聚为盗,而全陕无宁土矣。给事中许国荣、御史姜思睿等知其故,具言驿站不当罢,上皆不允,众共切齿于懋,呼其名而诅咒之,图其形而丛射之,懋以是自恨死。棺至山东,莫肯为辇负者,至委棺旅舍,经年不得归。
祖宗设立驿站,所以笼络强有力之人,使之肩挑背负,耗其精力,销其岁月,糊其口腹,使不敢为非,原有妙用;只须汰其冒滥足矣。何至刻意裁削,驱贫民而为盗乎!
按洪武二十六年,始定水马驿应付马骡船只人夫额数,以供差役传报。通天下血脉,久之弊生,嘉靖三十三年,始分温良恭俭让五字,温字五条,供圣裔真人,并差遣孝陵之往来;良字二十九条,供文武各官公差之内出者;恭字九条,供文武各官公差之外入者;俭字二条,供优恤;让字六条,供柔远。而火牌专供兵部走探军情与边镇飞报,亦分内外换三字,以清楚之,除奉旨驰驿者,不为限制外,余各临时裁酌,递有增减。至万历三年,更分为大小勘合,仍以五字编号。其中王裔文武官员用大勘合,监生吏舍等用小勘合。大勘合例用马二匹,夫十名,船二只,照品崇卑定例支应。或一支六,或一支八,极之一支十而止。小勘合实填数目,不许增减,或四马十二夫,或六马十六夫,极之八马二十夫而止。迨天启末年,援辽援黔,征兵征饷,起废赐环,武台内官,海内驿骚,加以冒滥,驿困实始于此。科臣刘懋遂进裁之一疏,总五字之五十一条,酌为一十二款。
一、衍圣公裁定夫六十名,马十六匹,船二只,如带典籍掌书庙丁医兽等事差有烦简,临时酌给。
一、张真人裁定夫五十名,马十匹,船二只,如带法师二人,掌事一人,驴各一头。
一、颜、曾、思、孟加五经博士,裁定夫二十四名,马六匹,船一只(此崇祯二年五月初三日裁定,其余文武诸臣不及悉载)。
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